共振するハビトゥス

主観が9割

高橋さんから時間を遡ってみる ~過去編~

せっかくブログをつくりましたし、どうせなら高橋一生の魅力について語ってみたいと思ってました。しかし先日違うファンダムの友人と話して感じたんですが、やはり沼に浸かってしまうと、沼に潜った者にしか見えない何か、常人には見えていない何かが見えてしまってると思いました。ちょっとそれをわかりやすく語るには文章力がまだ足りない…という訳でハマったきっかけを書き起こそうと思います。これがどつぼにはめる高橋さんの魅力を探る一助になれば…と思ってますがたぶんならないと思う。すみません。

というか私はこんなツイートをすでにしてました。

でもこれも正しいのかよくわからないんですよね。何せ沼に浸かってる状態で客観視どころじゃない。でもちょっと今沼の浅瀬に出てきた感じがするので再度考えます。

このツイートでも多少触れてるんですが、私の高橋一生熱には第一波と第二波がありました。

①第一波 2015年夏

言わずもがな民王です。とにもかくにも貝原貝原。ただ、この時期ハマるべくしてハマった気がします。それは私が大学受験期真只中だったこと。この時期は私の人生の中でなかなかどん底だった時期で、今まで何のために勉強してきたのか、これから何のために勉強するのか、何がしたいのかなどそれまで全力で逃げてきたテーマを考えざるを得なくなり、迷いに迷っていた時期でした。そんな時期に貝原というキャラに出会い、気になる俳優だ高橋一生、と思った時には沼でした。たぶん、これも現実から逃避したかったためだろうと今となっては思います。

またこの当時やっていたドラマが良かった。民王直後、「だから荒野」の再放送に続き「いつ恋」がありました。どちらのドラマも普段見るジャンルではないのですが、迷って迷ってぶれまくっていた当時の私にはぐさりとくるものでした。(一応受験期だったので)全部見れず1.5倍速で見たり、ひどいときは佐引さんの部分だけ見るとかとんでもないことをしてましたが、すごく印象深いです。

②第二波 2017年春 「ダメだ、この(高橋一生)熱を吐き出さないと体温制御できなくて死ぬ」とゴジラのような状態になりツイッターを始めた時期です。当時は「カルテット」「直虎」など放送があり盛り上がる時期であったのは確かですが、これだけではありませんでした。これも完全に個人的な事情ですが、もう一方のアイドルの推しに熱愛報道がありショックをうけた、というのがなかなか響いていたのだと思いました。

自分でも「は?」としかならないです今となっては。(まさかいきなりあんな生々しい写真が出たりお相手からたくさん情報が漏れ出たりすると思わなかったんだもん…)という虚しい言い訳はさておき、実際時が経つにつれその推しに関してほとんどツイートもせずファンなのかもわからないぞというレベルまでおちるにつれ、逆に高橋さんへの熱がガンガン上がり、考えることが何でも高橋さんに結び付くヤバイ時期に突入しました。おかげで大学のレポートのテーマに高橋一生関連を選ぶこと4回、教授がどんな顔で読んでいたのか想像する気にもなれません。

こんな時期に突入したことで、高橋さんを応援していく上で「アイドルでなく俳優のファンとしてどう応援すべきか」という課題ができました。

こんなことを思ったのは、熱愛という事象にショックを受けるという予想だにしないことが起こって、改めて推しとの距離感や関係性について考えることになったからです。んん?距離感もなにもそもそも現実じゃないね??という話ですが、何にも考えずにただ推しを追っかけて、という自分の意識のなさに気づきました。自分の中でどれ程の存在にだったのか、どれ程の存在にするべきか考えるタイミングが来たなと。

さらに言えば、俳優さんは自分の理想を押しつけることが許されないと感じまして。アイドルだと結婚するのにご報告の手紙がファンに送られたりするわけですが、それを俳優に求めたら何か違うな、と思いますよね。それもファンクラブが存在するような俳優さんならまだしも、高橋さんですからね。その俳優としての佇まいが高橋一生であるしそこが魅力であると私は思っています。だからこそ、俳優としてお芝居を信頼してるからこそ、見るこちら側の姿勢を考えないと、と思いました。それをテーマに今年の上半期は生きてました。 この時点で推しの比重の高さがすごいのでたぶん推しとは適切な距離感とれてませんが。

などいろいろ考えまくった結果、今どうなったのか、現状編を書けたら書こうと思います。

ちなみに、もう一方の推しに対する熱はただいま完全復活し楽しく暮らしております。