共振するハビトゥス

主観が9割

『クラッシャー女中』 感想【ネタバレすごい】

 

 

 

3月28日、『クラッシャー女中』本多劇場で観劇してきました。メモがてらちょこちょこ書き記したいと思います。

 

≪観劇前≫
一応就活中だもんで、会社説明会を2件済ませてからの下北沢入りとなりました。しかもすぐにミスドに入ってエントリシートを書いていたので、18時半頃にふらふらしながら劇場入りをしたわけです。いやそれにしても……

「下北沢、濃っ!!!!」

20年ちょい生きてきて初めて下北沢に降り立ちましたが、すんごい場所ですね。特に歩き回ったわけでもないんですが、ケバブのにおい立ち込める商店街とか、パチンコ・スーパー・小劇場の並びとか、カルチャーショックでさらにくらくらしました。スナックみたいな看板で「小劇場」って書いてあったからスナックかと思ったらまじで小劇場だったり、すげえ。ここが演劇の街、下北沢か……という。
本多劇場も入り口がわからず1階の店に突っ込んでいったら、本当に劇場の下にある店なのか…?と思うほどのジャンキーな感じで、もう観劇前からHPが3くらいになりました。せたパブや新国立だけが劇場じゃないんだぜと頭ぶん殴られた感じ。すいませんでした。


≪いざ観劇≫
席は後ろから2列目の一番端、とはいえ席の配置上後ろに席はありません。席自体に大きな期待はしていなかったんですが、座ってみるとびっくり、席のすぐ横が壁なんですね。私電車のロングシートの端っこの席(片側に壁があるタイプ)が大好きなんですが、まさにその席のように二方を壁に囲まれている状態ですごく落ち着く席でした。ノンストレス。
席の遠さとしては、表情の細かい部分見えませんが「本人が生で芝居をしている」のは感じられる距離で大変有り難かったです。席の傾斜もきつすぎず良い環境でした。あと椅子も個人的に好きだった…。
前置きが長すぎました。本編です。

(大変恐縮なんですが、大いなる金欠によりパンフレットを購入できず役名などの漢字を把握できておりません。そのため、一部役名表記を諦め演者さんのお名前で表記したりします。不快な方いらっしゃったら申し訳ありません。)

物語の導入部分。舞台上に趣里さん、田村さん、根本さんの三人が出てきて、舞台上の椅子や散らかったものを片付けつつ雑談するところから始まります。その雑談の段階ではまだ互いを「趣里ちゃん」とか呼んでNetflixの話などしてるので、まじで前説の雑談かと思ってたんですよね……。これちゃんと脚本あったんですね……。すごいリラックスしてたし客席もみんなパンフとか読み始める勢いだったから気づかなかったぜバカじゃん私……。でもほんとに普通の雑談かと思うくらい、自然なやりとりだった…はず……。
で、この雑談のとき根本さんが観客に向かって呼びかけをするんです。「あ、まだこの3人が出てるときは始まってないんで…」「あの、全然リラックスしていただいて大丈夫なんで」「今のうちに携帯の電源だけは切っておいてくださいね」みたいな。その呼びかけのなかで、「お二人が出てきたら、始まりますので…」というんですが、その時点で何となく「主役の人気を逆手に取られてるぞ……」というのは感じました。
そして、佐藤真弓さん演じるベテランぽい女中が登場します。このキャラはナレーションのような語り手になったり、物語の中で第三者的視点になったりと面白いんですが、こんなキャラどっかで見たことあるなあと思ったらおそらく熱帯樹の信子です。こういう観客の視点を顕在化するキャラってやっぱいるんだなあと思いつつ、この女中さんは喋ることが面白いんですね。「こういった手法は演劇でよく取られる手法ですが…」とかちょい暗転した時に観客に説明しちゃう。わざわざ。この語りも、物語終盤のいわば「サビ」に向かうにつれ少なくなります。前説のような3人の会話から、徐々に徐々に観客を物語に没頭させるようなつくりです。親切設計ですね。誰のため?
そして麻生さんと中村さんが登場して物語が始まるわけですが。このとき、中村さんの役名が「義則」って名前なんですよね…。一般だと義則って名前はどんなイメージなんでしょう? 私は一番最初に中学の担任を思い出します。うん、ほかの方には全く関係ない話ですけども、その担任「ヨシノリ」は私の学生時代良い意味でも悪い意味でも最も印象深い先生でして、ニュース番組とかで偶然出てきた一般の人が「ヨシノリ」って名前だっただけでも担任の顔が浮かんでくるんですよ。何が言いたいかというと、中村さんが「義則ちゃん」とか呼ばれるたびに担任の顔が浮かんでしまうのであんまり感情移入というか、集中できてなかったです。私ももうちょい集中したかったよ?! 外部要因がね???? ていうか、義則は普通の名前なのにカカオとかいう役もあったし、どポップな日本ぽくないセットなのに「港区白金」とかど日本の固有名詞が出てきたり、ずるいんだよなあ!
というわけで気負わず、もう見たいところをみることにしました。おかげで「今の中村さんの顔見たい…!(双眼鏡で見る)あ、セリフ聞き逃した」みたいな超へたくそな見方になってしまいましたがすべてあの担任のせいです。はい。
もう全然本題に入れない。中村さんに関して。いやあもう舞台人の発声だ~背筋がゾクゾクするぅ~がずっと続いてました。人間、喋る向きが変われば少し声のトーンが変化して聞こえたり音が小さく聞こえたりするもんですが、発声がしっかりしてるとそんなこと全然ないんだなと改めて。トーンが抑えめでも声を荒げても、真ん中に一本芯が通った声が届いてくる。というか、今回の演者さんはみんな発声がすごくて、もう何の不安もなく身を任せられました。テンポの良いやり取りもぽんぽこ進んでいって「あああ、演劇を見ている~」という感慨。
中村さんが「やばい」と言っていた田村さんもすごかった。ほしいタイミングでほしいテンションのほしいトーンのセリフが来てブワァ~ってなる。途中のシーンで、普通にやったら絶対感情移入できないだろうってシーンがあったんですが、ああそのテンションでこられたら納得せざるを得ない、というか愛さざるをえないよな……という部分があり、やられたなと思いました。すごい。
物語はどんどこ進み、義則の周囲の人間が続々クラッシュしていく中(婚約者が自分に復讐しようとしていた、根本さん演じる女中に秘密を暴露される、などなど幾多のクラッシュが起きている)、麻生さん演じるゆみこが義則にこう言うわけです。「何年もかけてこの状況をつくろうとしてきたの!あなたが弱ったタイミングであなたに手を差し伸べたかったの!さあ!」ゆみこは義則に手を差し伸べます(比喩でなく、まじで手を差し伸べます)。このクラッシュした状況は全てゆみこの画策で生み出されたものだったのです。当然義則は気持ち悪いので拒否反応を示すわけですが、長年義則に対し思いをためこんできたゆみこは止まらない。「大好き」な義則の姿を語り続ける。その「大好き」な義則の姿を保つためなら、どんなことだってやってきたゆみこ。徐々に空虚になっていくゆみこと義則のやりとり。でも最後、ゆみこは義則の血液型が何型かわからなかった。義則の血液型は、ゆみこの理想の通りには変えられない。
あーあ、ファンじゃん。
ここで悟った。「ああ、完全にこちらに向けられた物語だったか」と。
なんだか、こちらの思惑をすべて読んだうえで全部逆手に取られた感じ。中村さんが見たいというファンが多いこと、結果客層が変わるだろうこと、あまり演劇になじみのないお客さんが増えるだろうこと。中村さんが登場したときの客席の反応とか?いろいろ読まれたうえでの話だったのかなあと。ここらへんは最近よく考えていたことでもあったので痛い話です。
先日、いろいろ調べていたら面白い用語集サイトを発見しました。

商業演劇という用語の意味について。

商業演劇は、ほとんどが興行会社の主催によって大劇場で公演が行われ、
多くのお客様を呼ぶことができる、スターが主役を務めるのが特徴です。
上演されるのは、肩の凝らない大衆的な作品が多く、
演目ではなく、主役ありきで公演が企図されることがほとんどです。

また、公演時間が3時間程と長いことが多く、
幕間に1時間近い休憩(または複数回の休憩)が取られるのも、商業演劇ならではと言えます。
これは、近隣の飲食店での食事や、お弁当付きパッケージで観劇に訪れる
遠方からの団体客や年配のお客様が多いためで、
お芝居だけでなく、食事などもセットで楽しみに訪れる方が多いようですね。

このように「商業演劇」は基本的に興行形態で分類する言葉のため、
大衆演劇をはじめ、一部の歌舞伎やミュージカルなど、
大劇場で上演される公演は商業演劇と見なされることもあります。
厳密な区分けがあるわけではありませんが、
文化的・芸術的に優れた作品を創るということを主目的とせず、
大衆に人気のある俳優を起用し、お客様を楽しませることに主眼を置いた公演が
商業演劇」である、と捉えれば良いのではないかと思います。


スターが主演で、スターを観にお客さんが集まって、そんな公演で演者にアテ書きした物語としては、なんか皮肉だなあと思いました。皮肉というよりは挑戦でしょうか。そういえば、この公演は休憩時間がありませんね。

下北沢という土地で、この舞台が見られたことがすごく刺激的でした。とはいえ記しましたとおり集中力がガバガバでしたので、いろいろ聞き逃して全然違うものを見てたかもしれませんから、こんな感想信用しないでくださいね。最後に、何度もやる余裕を与えないカーテンコールが潔くて大好きでした。この話はのちのブログにも書こうかと思います。

カンパニーのみなさんが最後までこの公演を走り抜けられますように!